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父の闘病生活を振り返る(医師の診断)

緊急入院後、点滴で応急処置をし、容態が落ち着いてきたところで、内視鏡検査を行なった。

医師が下した結果は“癌細胞による食道の貫通”
父の癌は急速に大きくなり、食道を食い破ってしまった。

癌を宣告された時の病期は?。
気管支と大動脈への浸透が心配される末期。
もうそれは皮一枚(皮なんてないだろうけど・・・)

気管支への浸透は最初から心配されていた。

手術が出来なかった理由もそこにある。
手術をして開けてみたら、食道と気管支がベったり張り付いている可能性があった。
体力的にも問題がある父が、大手術を決行しても癌を取ることさえも出来ずず、さらに体力と命を奪ってしまう可能性が高い。
悩んだ末、手術せずに化学療法を選択した。

癌が大人しくしていてくれることを祈りつつの化学療法。
癌は侵略を再開し始めた。

“気管支への交通”

ここ数日の咳と痰はこれが原因であった。
水分を摂っても、その水分が穴のあいた気管支へ流れ込む。
口から物を入れなくても、唾液が食道→穴→気管支へと行ってしまう。

誤嚥肺炎というのがあるが、誤嚥じゃなくて開いた穴から自然に流れ込んでしまうというもの。
穴が実際開いているわけじゃないけれど、癌というバイパスで繋がってしまったのだ。

父は咳き込むからと口からの食事おろか水分までも拒絶していた。
そのため肺炎までは起こしていなかったものの、唾液の流れ込みによる咳と痰。

もちろんこの拒絶で肺炎は防げたけれど、父の体力を奪い、脱水症状と栄養失調を招いた。

予期はしていたけれど・・・。
転移もなく治療が順調に進んでいただけにショックは大きかった。
こうなるとひたすら肺炎を防ぐしかない。
もう手術を受けることが出来ない父にとって、それは本当の末期を意味する・・・。



医師の言う“覚悟”とはこいうことなのだ。
癌の進行は急激に進む。
いつ何時に襲われるのかと心に爆弾を抱えながらの毎日が始まる・・。
後どのくらい父と一緒にいられるのだろう?
後どのくらい父と語れるのだろう?
そんな思いが溢れてくる・・・。



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父の闘病生活を振り返る(家族の心内)

治療が始まって1年と3ヶ月。
余命宣告よりは長く頑張ってきたけれど・・これが限界なのか!?

母は家で涙こぼしていた。
普段は気丈な母だが、さすがに壊れたように泣いた。
こんな時は私は涙が出ないんだよね。
普段からネガティブだから、心のショックを少しだけ緩めにることが出来たのかな?それとも痛みになれてしまっているのかな?

泣く母に私は
「いつかこんな時が来るって分かっていたでしょう?」
「今まで頑張ったじゃない?」

母は
「まだまだ頑張って貰いたい。」
「癌は消えなくても、これ以上大きくならないで、転移もしないでくれたらいいのに・・。」

そんな都合の良い話は・・と心の中でつぶやくしかなかった私・・・。

1年4ヶ月前のあの日。
そしてセカンドでの余命宣告。
その後は父の前では気丈にポジティブに。
ひとりネットで調べる時ネガティブ全開で涙した。

その日が刻一刻と迫ってきている。
今私ができることは何だろう?



本当はね、家族みんながポジティブなのが辛かった。
頑張って欲しいという気持ちはあるけれど、重くのしかかる現実。
でもそんな家族のポジティブさを否定することはしなかった。
だって父が闘いに負けることを望んでいるみたいじゃない・・・。
ネガティブな私はポジティブな家族の中でひとり心の中で葛藤していた。
無意味にイライラしたりしてた・・。
父の死が怖かったから、先回りをした心。
ネガティブって傷つくことが怖いから、その時の辛さを半減させるために常に最悪な状態を想定するのかな?
少なくとも私のネガティブ発想はそんな感じだ。
父と闘病生活を共にして、自分のこの性格が本当に嫌になったりもした・・・。



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父の闘病生活を振り返る(緊急入院?)

2008年8月25日
父は緊急入院をした。

朝一番に病院へ連絡。
前回連絡した時は診療時間外ということもあって、緊急外来に回された。
今回は診療受付が始まる時間帯に電話し、担当の科に取り次いで貰った。
容態を報告すると、「直ぐに来てください。直ぐ診察が出来るように話を通しておきますから」との返事。

父の準備を済ませ、タクシーで病院へ。
診察は直ぐ行なわれた。

父は脱水症状と栄養失調という状態。
医師に「何故こんなになるまで我慢していたんですか!?」と言われる。

急激に変化した容態。
1週間前までの検査では自力で行けた。
その検査の後、医師も次回の検査は9月8日とした。
良い状態では無いけれど、入院とも言われなかったから。

癌という病気は急激に容態を変えることを忘れていた。
父の癌の大きさや病期から考えて、いつ何時命の危険が迫ることを宣告の際に言われていたのに・・・。
私も父も家族も肝心なことを忘れ、油断をした結果、さらに父を苦しめることとなってしまった。

脱水症状と栄養失調で緊急入院。
病院もベットを空けてくれた。
そして、父がベットに横たわり点滴を投与している間、家族へ医師の説明がなされた。

「いつ何時、その時がくるか分からない状態です。覚悟をしてください。」
「今のうち会わせたい人がいたら、会わせた方がいいでしょう。」
と言われる。

それなりに順調に行っていると信じていた母は愕然とし、私は・・・。
母はポジティブ。
私はネガティブな思考の持ち主。
常日ごろ、あれこれ最悪のケースを考えていることが多い。
昨年セカンドで余命1日の宣告をされた時にある程度の覚悟はしたつもり。。
ネットで調べまくって、父が本当に危険な状態であることを認識していたつもり・・・。
でもその後の化学療法で一時は良い方向へ進んでいたから、このまま癌と上手く共存できないかな?と甘い考えも出てきていた。
それがこの緊急入院を生んでしまったのかもしれない。



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父の闘病生活を振り返る(緊急入院?)

2008年8月25日
父はとうとう緊急入院をした。

病院へ行こうとお願いしても、拒絶され続け・・。
父は以前の時のような一時的な副作用だと思っているようだ。
もう少しすれば良くなる、落ち着くと思っている・・。
だけど現実は悪化する一方。
辛そうな咳と痰。

食事は一切受け付けず、胃ろうから物を入れることすら出来ない。
食事量が減りすぎて、胃ろうに入れられる量少ない。
たぶん胃が小さくなってしまったのだ。
水分だけは補給するも、この季節だけに追いつかない。
ましてや、痰と一緒に吐き出される唾液量だって相当量。
この1週間で急激に痩せてしまった。

寝ている姿はもう老衰した人のようだった・・。
息しているのか、怖くて何度も確認してしまう。

8月24日夜
私は覚悟を決めた。
もう諦めかけてた。
こんなに急激に悪化するものなのかと、嘆いた。

「覚悟した方がいいかもしれない・・・。」別の場所に暮らす兄宛てに、そんな内容のメールを打っていた丁度その時、私の携帯が鳴った。
兄からだった・・・。
家族というのは凄い。
これを虫の知らせというのか・・。

私は兄に・・限界であること・・覚悟しなくちゃいけないかも・・。
もう見ているのも辛い・・。と嘆いた。
兄も急激に悪化したことを驚いていた様子。

兄と相談して
「明日意地でも病院へ連れて行こう」と決めた。
でも、私や母が行こうと言っても「うん」と言わない頑固な父。
こんな時は兄に来てもらって説得して貰うのが一番だと思った。

今まで兄は離れて暮らしていることもあって、入院や検査などは私が引き受けてた。
その兄が会社を休んで飛んでくるとなると、父も真剣に受け止めてくれるような気がしたから・・・。

朝一番、新聞配達員なみの速さで兄は駆けつけてくれた。
そのことが、余計に響いたのだろう・・説得の結果、父はやっと応じてくれた。



もっと早く兄に来て貰えばよかった。
私自身も父がこんなに急激に悪化するとは思わなかった・・。
きっといつもと同じように一時的なものだと思っていた。
それは11日、18日の検査で医師に警告されなかったし、咳と痰が出ても肺には転移していないと言われた。
もし急を要する状態なら、家に帰したりしないし、次回の検査は9月8日と言われたくらいだから・・・。
まだ大丈夫だと勝手に思っていた・・。

これが間違いだっだ・・。



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父の闘病生活を振り返る(父の覚悟)

8月18日検査はしたもの自宅療養。

その後も食事は口から摂ることはできず、その上水分さえも拒絶するように・・。
TS-1を処方されているので、水分は摂らないとまずいし・・。
胃ろうで栄養を補給するも量を受け付けない。

咳と痰は激しくなる一方。

とうとう本人も食事を摂ることを拒絶するように・・。
それはまるで、この辛さを自分で幕引きしたいかのように見える。

8月21日
もうこの頃には自力で立ち上がることすら出来なくなっていた。
先日の検査までは、弱々しくはあったが自力で病院に行けるほどだったのに。
あっという間に弱っていく・・。
やはり経口抗がん剤TS-1が良くなかったのかもしれない。
弱っている父に追い討ちを掛けたのかもしれない。

家族は傍でオロオロするばかり・・。
このままでは父にお迎えが来てしまう。
それにこんな気が気でない生活は家族までも共倒れになりそうだった。

病院へ連絡した。
「直ぐに診察を受けにきてください」と言われ、父にその旨を伝えた。

しかし・・父は拒絶した。
もう動くことすら、シンドかったのだろう。
私と母の説得を頑なに拒絶する父。

私には・・最後の覚悟を決めて、自宅でその時を迎えようと思っているようにも感じられた・・。
涙が出て止まらなかった・・。

ほんの1〜2週間前までは食事が摂りづらいといっても、普通に過ごしてた・・。
話も出来た。
確かに寝ていることも、咳込んで辛そうな時も多かったけど、まだ笑って話することが出来ていた・・。
急にこんなに悪化するなんて・・。



あの時、意地でも父を病院へ連れて行けばよかったと、反省している。
父の気持ち大事にしたけれど、それが本当の優しさなのかな?って今は思う。
まだまだ手はあるかもしれない。
少しでも楽にしてあげたい。
そして少しでも人間らしい時間を過ごせるように・・。
笑い合って話せること。
そんな些細なことが家族にとって幸せなんじゃないかなって思う。



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ある日・・父が食道癌に侵された・・。 父と共に病気と闘う家族の日記。